軽井沢から車で30分ほどに位置する、長野県小諸市。江戸時代には宿場町として栄え、街道沿いには歴史を感じる建物が今も多く残されている。
小諸の町は周囲を山に囲まれ、坂道が多い。そこで観光客だけでなく、住民の足にもなっているのが、EV三輪カート「egg」だ。
これは小諸市によるまちづくりの実証実験の一環として、2021年からスタートしたもの。小諸市と、長野県に本社を置く株式会社カクイチが中心となり、モビリティの取り組みを進めてきた。
「egg」を提供するカクイチが、MaaS事業を立ち上げたのは2019年のこと。今でこそ、地方創生に向け交通の社会課題を解決する……とビジョンを掲げているが、実は最初のきっかけは「面白そうなEVバスがあったから」というもの。すべては、バスを買った後から考えたという。
MaaSに限らず、「自分たちがやってみたいから」そして「困っている人がいるから」という動機で、フットワーク軽く事業を立ち上げてしまうカクイチ。その軽やかな動きは、やがて周囲を巻き込み、企業や社会とつながっていく。
いったいなぜ、そのようなことが可能なのか。株式会社カクイチの鈴木琢己さんと田中敬さん、そして小諸市で都市計画に携わる五十嵐均さんにお話を伺った。
五十嵐 均
(いがらしひとし)
小諸市役所
都市計画課 都市計画係長
小諸市生まれ、小諸市育ち。
都市計画課では、コンパクトシティ関連整備事業、公共交通事業、官民連携事業を担当。
特に官民連携事業では、小諸駅周辺の社会実験のためのエリアブラットフォーム『こもろ・まちたねプロジェクト』を創設し、MaaS社会実験や場づくり社会実験『まちタネひろば』など、まちづくりの新領域に挑戦している。
鈴木 琢巳
(すずきたくみ)
株式会社カクイチ
執行役員 戦略デザイン室
7年連続営業トップ、若くして最高顧問秘書に抜擢。新規事業への挑戦、失敗からの這い上がりと実績で、カクイチ史上最年少33歳で執行役員へ。
圧倒的人間関係構築力を武器に、多くの外部企業との繋がりをカクイチへもたらした。SlackやUniposの導入など、DX・組織改革のきっかけを作るなど、思い切った意思決定と実行スピードで、カクイチに猛烈な変化を起こしている。
田中 敬
(たなかけい)
株式会社カクイチ
准役員 戦略デザイン室
世界放浪にスペイン留学、幅広い経験の中で、多様性やコミュニティに関して独自に探求。
MBA取得中にバウンダリースパナーという役割への関心を高め、カクイチでは外部ネットワークを活かしてMaaS地方創生事業を推進。また、戦略デザイン室ではマーケティングを中心に、全事業に横断的に関与している。
そのシナジーは本当に会社全体を幸せにしているのか
カクイチという会社を一言で説明するのは、とても難しい。
その理由のひとつが、手がける事業の幅広さだ。MaaSをはじめ、ガレージハウスや倉庫の製造販売、太陽光発電、農業改善、ホテル、樹脂ホース、EVフォークリフト、ミネラルウォーターなど、グループ従業員600人の会社で11事業を有しており、グループ売上は300億を超えている。
しかし、これだけ複数の事業があるにも関わらず、田中さんと鈴木さんは揃って「シナジーなんてないですよ」「シナジーなんて幻想です」と話すのだ。
ではなぜ、カクイチは多種多様な事業を創出し続けてきたのか。その原点は、138年前にさかのぼる。
カクイチは、もともと金物屋だったと聞きました。
創業者は三兄弟で、兄はラジオ商(電気店)で電気の小売を、弟はお茶屋で喫茶店を始めています。どれも当時としては画期的で、一族揃ってイノベーターだったんですね。
しかしその後、戦争が始まると金物が取り上げられ、金物屋から商売を変えざるを得なくなりました。ここで農機具用のガレージと、ホースを始めるんですよ。
金物屋でしたから、鉄鋼製品のガレージを手がけるのはわかるのですが、なぜ樹脂製品のホースを?
ホースがほしい、というニーズを聞きつけて、事業として始めてもないのに「うちでできますよ」と言い切っちゃったみたいなんですね。だから、当然ノウハウもなくて。
それでも他社のホースを研究して、なんとか作り上げた。今もホースは主要事業のひとつです。「とりあえずやってみる」というカクイチの精神は、このころから脈々と受け継がれていると感じます。
となると、もうひとつの「農業用の倉庫」は、今のガレージ事業につながるのでしょうか。
そうですね。1970年代のオイルショックでホースが作れなくなり、そこからガレージの製造販売に注力しました。当時、世の中では訪問販売が主流だったなか、実際に田んぼの真ん中にガレージを立てて、お客さんを呼び込んだそうです。今でいうショールームの先駆けですね。
ただ、今度はバブル崩壊がきて、ガレージが売れなくなった。すると社長が「これからは健康だ!」と経営方針を変えるんですね。ミネラルウォーターやホテルなど、これまでとまったく違う「飛び地」の経営になっていきます。
他にもいろいろ新規事業に挑戦したのですが、90年代後半から2000年代にかけては「暗黒期」でしたね。エクステリア事業で失敗したのもそのころです。
ガレージの周りにレンガを積んだり、門扉をつけたり、それこそガレージとのシナジーを意識して始めた事業でした。ニーズはあったので、メーカーから仕入れたエクステリア商材が売れたんです。
でも、これだと自社工場が稼働しないんですね。エクステリアの売上は立っても、会社全体としては疲弊していくばかり。シナジーがあったのは、一部の部門だけだったんです。
なるほど。それで「シナジーなんて幻想です」と。
私たちの強みは、独自性のあるものづくりです。それを忘れてシナジーありきで進めても、うまくいかない。シナジーという言葉自体、疑ったほうがいいと思っています。結果的にシナジーがあったね、ぐらいのほうがいい。
ですので、今の私たちは「自分たちがやりたいから」「困っている人がいるから」を起点に、事業を始めるようにしているんです。
予算もマネタイズも考えない。すべては「困っている人がいるから」
明治創業の老舗ながら、カクイチにはベンチャーマインドが脈々と受け継がれてきた。目の前のお客様のために、新規事業に果敢に挑戦する。その姿勢が事業を大きく広げてきた。
しかしベンチャーマインドだけでは、会社は続かない。事実、バブル崩壊やリーマンショックのあおりから、カクイチも「暗黒期」に足を踏み入れてしまう。
その暗闇から、どのように脱したのか。そのきっかけも、やはり「困っている人がいるから」という起点と、未経験の分野にも恐れずに飛び込むマインドだった。
「暗黒期」から抜け出したのは、なにがきっかけだったのでしょうか。
2011年に東日本大震災が起きました。当時、私たちのガレージは全国に10万棟以上建っていたんですが、1棟も倒れなかったんですね。耐震性を謳っていたわけではなく、たまたま基礎が頑丈だったから。「母屋が倒壊したので、ガレージで避難生活をしていました」という方もいらっしゃって。
そこで改めて、お客様のためにできることはないかと、足元を見つめ直しました。原発事故や計画停電で、電気に不自由な思いをした方も多かっただろう。それなら、ガレージの上に太陽光パネルを置いて発電事業を始めたら、困っている方々を助けられるのでは……と考えたんです。
確かに、ガレージの屋根で発電できたら非常用電源として役立ちそうです。とは言え、それまで太陽光発電や発電事業の経験は……。
ありません。初めて社長からやろうと言われたときは「うさんくさいな」とすら思いましたよ(笑)。最初はお客様に太陽光パネルを買ってもらおうとしたんですが、高額なのもあり、まったく売れませんでしたし。
そこで「お客様から倉庫の屋根という“土地”を借りる」というビジネスモデルにしたんです。お客様に20年分の賃料を前払いして、うちの太陽光パネルを置かせてもらう。そこから得た電気を売って、長期的に回収していこうと考えました。
初期投資が莫大な金額になるので、軌道に乗るまでは大変でしたが、結果的にこの太陽光発電事業でV字回復を果たしました。太陽光パネルを置けば賃料が入るので、ガレージも売りやすくなったんです。
2013年のスタートから、現在は1万7300軒のガレージに太陽光パネルが置かれています。これだけ多くの“太陽光発電所”を自社で持つ会社は、世界でもうちだけでしょうね。
今はSDGsという言葉も浸透し、環境問題や再生可能エネルギーへの関心も高いですが、太陽光発電を始めた動機はあくまで「困っている人のため」だったわけですね。
そうですね。むしろ、カクイチの事業はすべてそこからです。太陽光発電も、お客様には嬉しいことだらけなんですよ。非常用電源に使えるし、賃料は入るし、向こう20年は我々がメンテナンスに訪れるので、倉庫のメンテナンスだって一緒にできます。
そして、これはあとから農家の方に聞いたのですが、屋根が厚くなることで雨音が静かになったり、夏場に暑さをしのげたりという利点もあるそうなんです。一石二鳥どころか、一石五鳥くらいになっていた。
でも、そこまで最初から考えていないんですよね。新規事業を立ち上げるときは、マネタイズも損益分岐点も脇に置いていますし、予算すら決めていませんから。
株主がほぼいないファミリー企業ということもあり、長いスパンで物事を考えられるんです。将来のビジョンが共有できれば、とにかくまずやってみる。「人のためになることをやっていれば、最後にお金にするのは簡単だ」という感じですね。まぁ、あとから苦労することも多いんですが(笑)。
「みんなが気持ちよく潤う循環」をMaaS事業で作りたい
カクイチの歴史を振り返ったところで、小諸市職員の五十嵐さんが合流した。ここからは、小諸市とカクイチが共同で立ち上げた実証実験「縁JOY!小諸」についても伺う。
カクイチの11ある事業のひとつである、MaaS事業。EV三輪カートやEVバスにより、高齢化社会の課題のひとつである「モビリティ」を解決するものだ。長野県東御市での実証実験を経て、小諸市と行う「縁JOY!小諸」では観光客や地域住民に向けてカートを回遊させている。
この自治体とのコラボレーションは、いかにして進められたのだろうか。その始まりは、やはり計画的なものではなかったのだという。
カクイチがMaaS事業を立ち上げたのは、いつごろでしょうか。
2019年ですね。とりあえずEVバスを2台買ったところからはじまりました。
とりあえず、とは……?
もともとは東京オリンピック関連のイベントで、新国立競技場を中心とするエリアに設置された建物やオブジェ間をつなぐためのバスだったんです。カクイチは別件でそのイベントに関わっていたのですが、社長が「あのバス面白いから買っちゃおう」と(笑)。
ところがオリンピックが延期になり、買ったバスが宙に浮いてしまった。それなら工場がある長野県東御市で、実証実験としてバスを走らせたらいいじゃないかと、市に声をかけて無料のバス路線を作ったんです。「バスができたらみんな嬉しいだろう」と思って。
MaaS事業も「まずやってみよう」の精神でスタートされたんですね。
ただ、半年ぐらい運行したのですが……。結果はひどいもので、恐ろしいくらい誰も乗らなかった。生活スタイルに変化がないので、バスが通っても乗る動機がなかったんですね。町の人たちにやっと存在を認知してもらったときには、もう実証実験が終わる頃でした。そこに、小諸市さんから声をかけていただいて。
東御市でEVバスが走っていると新聞で知って、小諸市長も副市長も「興味あるよね」と話していたんです。それで、とりあえず見てみたいな、とカクイチさんにアポを取りまして。
実際に工場を訪れてみたら、EVバスの他にEVカートもあるわけです。乗ってみたら、すごく楽しい。「これを町で走らせたら面白いよね」っていう。最初は本当にそれだけだったんですよ。
あらかじめ進行していたまちづくり構想に、カクイチのMaaS事業がハマったというわけでは……。
なかったですね。何に使えるかは後で考えましょうと。
僕らと似ているんですよ(笑)
いろいろ試してみましょうということで、まずは部署を横断した20名ほどでチームを作り、EVカートを借りて町を走らせてみました。
最初から20名ものチームを作るのは結構大変なことだと思うのですが、小諸市ではよくあることなのでしょうか?
いえ、ほとんど前例がないですね。そのときは産業や観光など、関わりのある課から人を集めました。EVカートを試してみるにしても、最初から住民の方は巻き込めないじゃないですか。あまり見慣れない形ですし……。
確かに、「タイヤが1個足りないぞ」とか「横が空いてるじゃないか」とか、よく言われます(笑)。
試すなら我々でやるしかないなとゴールデンウィークに仲間を募ったら、ありがたいことに集まってくれました。実際に市内を走らせてみると、観光客だけでなく、住民の方も興味を示してくれたんですね。運転席から手を振ったらみんな振り返してくれたり、その辺を歩いていたおばあちゃんに「乗ります?」と声かけたら乗ってくれて、病院まで連れて行ったり。
かなり手応えを感じましたので、事業構想大学院大学さんに入っていただき、実証実験を進めていくこととしました。
「生活スタイルが変わらないとバスが利用されない」という課題は、どのように解決されたのでしょうか。
LINEと連携したMaaSアプリ「信州こもろ・こま〜す」をカクイチで開発しました。乗車チケットの発券などに加え、市内のスポット情報を発信しており、「おすすめの場所へ案内する」という導線を作るようにしたんです。開発にあたっては、社内をはじめ五十嵐さんからも、たくさん意見をいただきましたね。
かなり無茶振りもしましたが(笑)。「信州こもろ・こま〜す」には観光情報も多く掲載しているのですが、実際に運行してみると、乗客の半数近くが住民の方なんですね。「花屋に行って、パン屋に寄って、おすすめされたお寺を見て帰る」といった、生活とお出かけがミックスした移動をされていて、とても面白いなと感じています。
カートのドライバーも乗っていると楽しくなってくるみたいで、自主的に「あそこのお寺が見どころですよ」とおすすめしたり、実際に案内したりもするんです。五十嵐さんも運転されますもんね?
そうそう、五十嵐さんのドライバー、私大好きなんですよ。小諸の歴史に詳しくて、ワクワクする話をしてくれるじゃないですか。
やっぱり楽しくなっちゃうんですよね(笑)。ドライバーによって、歴史が好きだったり、美味しいものを知っていたり、趣味嗜好が違うのも面白いところだと思います。
現在は実証実験の段階ですが、事業化への道筋はどのように考えられているのでしょうか。
現在はUR都市機構や商工会議所など6団体で実証実験に取り組んでいて、イベント集客への利用や、データ分析などの活用も進んでいます。スタートは「楽しい」という素直な気持ちでしたが、徐々に事業化への道筋を固めているところです。
2024年度で、実証実験は4期目に入ります。恒常的にカートが運行している状態を作るためにも情報発信を強化して、「自分たちもカートを利用してみたい」と思える環境にしていきたいですね。
MaaSの取り組みによって小諸市の魅力度がアップすれば、訪れる人も増えて、結果として町の人も喜んでくれる。その「ありがとう」の対価が、最終的にお金につながればと。みんなが気持ちよく潤う、いい循環を作れたらと思っています。
「何をするか」より「誰とするか」で未来を切り拓く
樹脂ホースからMaaS事業まで、カクイチの根底には起業家精神が脈々と息づいていることがわかってきた。ただ、カクイチ本社の社員数は240名。その人数で多種多様な11の事業をどのように回しているのだろうか。
転機となったのは、2018年10月。全社にSlackを導入し、工場の作業員やショールームのパート従業員まで全員にiPhoneを配った。平均年齢47歳の会社で起きた「情報変革」が、カクイチの組織を180度変えたという。
単純に疑問なのですが、それだけたくさんの事業を立ち上げられて、社員の方々はどのように業務を回しているのでしょうか。
カクイチの組織はピラミッド型でも縦割りでもありません。たとえば「MaaS事業部」というものも存在しないんです。
私たちは「間(あわい)の組織」と呼んでいるんですが、組織間に明確な線引きを設けず、「気付いた人がやればいい」という形になっているんですね。巻き込まれていつのまにかジョインしていた、というパターンも多いですが。
きっかけは2018年の「情報変革」でした。昔はカクイチもピラミッド型だったんです。でもそれでは、トップの意向が末端まで伝わらないし、逆もしかり。すべての問題の本質にコミュニケーションがあると定義して、コミュニケーションツールを一新しました。
現場の情報はすべてiPhoneから吸い上げて、Slackで社内全員がつながるようにした。その結果なにが起きたかというと、中間管理職がいらなくなったんですよ。トップから現場まで、フラットに情報が伝わるようになったことで、情報格差がなくなったんです。
ピラミッド型の組織である必要がなくなったんですね。
会社のどこで何が起きているのかも、すべてわかるようになりました。誰がどんな仕事をしているかも把握できるので、横同士のつながりも強くなりましたね。写真や動画も頻繁に投稿されるから、初めて会う気もしませんし。
事業のシナジーはなくても、社員同士のシナジーはすごくありそうですね。
そうですね。むしろ誰かに頼らないと、仕事が成り立たないですから。
うちは同じことを3年やらせてもらえないんです。常にベンチャーを渡り歩いているようなもので、異動するとまたイチからやり直し。なので、困ったら誰かを頼る、頼られたら助ける、という文化が根付いているように思います。そうしてお互い成長するイメージですね。
なるほど。ではこの先、成長したカクイチはどのような未来を描いているのでしょうか。
事業ごとに「未来予想図」が分かれているので、なかなか一言ではまとめられないのですが……。
社長の田中が「気のいい仲間と気のいい場所で、美味しい飯を食って楽しい話をする。それが人生のすべてだ」ということを、よく言うんです。これは自分もすごく共感できるんですね。社会レベルでも、小諸のような町レベルでも、事業レベルでも、これに近い感覚で仕事ができるのが理想のような気がします。
「何をやる」のはもちろん、「誰とやる」「誰のためにやる」も大事だと。
まさにそうですね。誰と仕事をするかは、すごく重要なポイントだと思います。我々が小諸市でMaaS事業をやっているのも、五十嵐さんのためですからね。
えっ、そうなんですか?
そうですよ! カクイチはみんな五十嵐さんが大好きです。誰よりも町のことを思っている人のために働いたら、絶対町のためになりますし。
「社会」とか「地域」とか「町」とか、抽象度を高くすると「誰のため」というフォーカスがぼやけるんです。だから我々は、五十嵐さんが幸せでいてくれればいい。五十嵐さんが喜んでいる姿を見て、町の人みんなが幸せになる。最高じゃないですか。
それ、市長にも同じこと言ってるんじゃないですか?(笑)
はい。鎌や鍬(くわ)などの農機具を扱う銅鉄金物商として、長野県千曲市に創業しました。明治19年(1886年)のことですね。
当時から、革新的なことをたくさんしていたと聞いています。カンバン方式のような仕組みを取り入れて在庫欠品をなくしたり、刃が欠けた商品の返品対応に応じたり。鉄道がない時代、一昼夜かけて買い物に来てくださるお客様を、とにかく大切にしていたようです。